一筆一筆にお客様の想いをこめて

「甲州親子だるま」が生まれる工房は山梨県の甲府市にあります。2代目斉藤岳南さんが文字通り親子で力を合わせて、ひとつひとつ丁寧にだるまをつくる日々を送っています。

小法師

ひとつの「甲州親子だるま」が完成するまでおよそ10日間。はじめは丸の木から彫られた木型をもとに作った金型を使って紙製の生地が生産されます。そしてその生地の底に粘土製のおもりをつけて、「起き上がり小法師」のように自分で起き上がるようにします。

白塗り

色付けはまず、白い胡粉(ごふん=貝殻を焼いてつくった顔料)を丁寧に数回にわたり刷毛で下塗りを重ねることから始めます。

塗料が乾いたら、いよいよ顔描きです。

顔入れ

まずは顔のベースとなる色を塗り、その後、金粉を使った塗料で衣のしわを入れ、続いて顔の各パーツを描き入れていきます。色付けの順番は大変重要で、塗り直しを試みても前の色が残っていたり、金粉が塗料をはじいてしまったりするため、やり直しがきかない一発勝負という難しさが伴います。

最後に子の目、親の目を順番に住みいれした後、背面に署名を入れれば完成です。


斉藤岳南さんによる甲州親子だるまの顔入れ

最後の目入れまでは、まったく気が抜けません【2代目斉藤岳南さん】

 

大工をしていた親父が、先輩郷土玩具職人のひとりから指導を受けたのがきっかけで、途絶えかけていた「甲州親子だるま」の木型を新たに掘り起こして復活させたのが始まりです。ちょうど1964年の東京オリンピックの年に20歳を迎えた私は郷土玩具職人だった親父の弟子になりました。当時は観光ブームの始まりで、玩具は作れば売れるっていう、いい時代でした。ホンダの90㏄のバイクに大きな段ボールを3つくらい積み上げて雪の峠を越え、山中湖のほうまで商品を運んだことを鮮明に覚えていますね。

はじめのうちは遊び惚けていた私も35歳を過ぎる頃からようやく地に足がついてきて、もっぱら顔塗りや金の筋入れ、松竹梅の絵柄を描いていました。それを親父のところへ持っていくと、親父が顔を描いて目鼻を入れて最後の仕上げをする、という毎日。そしてある日のこと。親父が「おい、明日からお前、顔を描け」って言うもんですから、「教えてもくれないのに顔を描けって言われたってできないよ」と言ったのですが、「いいからやれ」と押し切られて。それからは並んで仕事をしながら筆の運びかたや力の加減をみて覚えていきました。筆だけではなくだるま自身も動かしながら絵を入れていく技も知り、新聞紙を使って朝から晩まで描きかたを練習していましたね。私が50歳になったときに親父は任せると言ってほとんど手を引いてしまいました。そして自分は子どもや年寄におもちゃを作る楽しさを教えるために、山梨県の観光キャラバン隊として飛び回る日々を始めたのです。親父は手取り足取り教えるようなことは一切しなかったのですが、現場主義に徹した偉大なものづくり職人でした。その精神を引き継いで、いまは最後の目入れまで気を抜くことなく、一筆一筆にお客様の想いをこめてだるまづくりをしています。